少しマインドチェンジ

前回育児環境は過酷だと書いた。
正直、一人でいるとき、夫婦だけでいる時と比べてストレスは相当かかってくる。

もともと、自分自身もポジティブな人間ではないので、普通に弱音も吐くし、愚痴も言う。

ただ、子供が生まれてからは、そんな中でも少しマインドをチェンジしてポジティブに考えてみることをしようと実践している。特に心理学を勉強したり、本を読んだりしているわけではないが、今いる状況をネガティブにもポジティブにも考えられるならポジティブな発想を選んでみようと。

今、音楽聞いていて、赤ちゃんが横で大泣きしている中で少し思ったことをざっと書いてみる。

赤ちゃんは泣いて泣いて泣き止まない。いつまでも泣いて、なんで泣き止まないんだ。
1歳くらいになって、ハイハイや掴まり歩きするようになると、なんでちょろちょろと動き回っていろいろな危険因子に近づいて目が離せない。そういった状況がストレスに感じる。ごく当たり前の感情。

そんな時に、生まれたばかりの瞬間を振り返ってみると、赤ちゃんがお腹から出てきて、看護師さんに羊水を抜いてもらって泣いたときほっとしたことを思い出してみる。それまでの間はほんの一瞬であるが泣いてくるれるまで非常に心配である。早く泣けと、その一瞬が非常に長く感じられた。

さらに、看護師さんが手足の動きを確認してくれて、正常であると報告してくれることでさらに安心する。

それから、1週間、泣かないと元気がないのではないか、動かないと何処か異常があるのではないかといった具合である。

双子の場合は、NICUに入っていたので、ちゃんと息を吸って、吐いているかそこの心配から始まる。
あたりまえのことが、あたりまえでないと感じられる状況に立っていたのである。
お見舞いが終わり家に帰ってからも24時間息を二人ともしっかりしているかなと常に心配していた。

育児をしていると、どうしてもイライラしてしまうこともある。それが夫婦喧嘩へ派生してしまうこともある。
そんな時、もう一度生まれた瞬間、寝返り、ハイハイ、立ち歩きなどできるようになっていって、ひとつひとつの行動にみんなで喜びを感じたことを思い出したいと思う。

泣いたり、たどたどしいながらも動く、それがあたりまえになると不思議と人間はそれだけでは喜べなくなって、自分の思うようにと、さらにいろいろなことを求めていってしまう。自己中心的である。

息を吸って、吐いているかNICUで必死になってみていたあの時の自分、酸素量が不足した時になるアラームを聞き、無力な自分を感じながら、忙しく働く看護師さんに早く来てくれないかと目をやる。

きっとあの日の自分からみると、泣きじゃくって、動き回っている赤ちゃんを見れていることは物凄く幸せなことであり、過去の自分の求めるところに立てているということなのだと思う。
そして、今日、あのときの自分のようにNICUで赤ちゃんの横に寄り添うお父さん、お母さん、または、何かしらの病気と闘っている赤ちゃん、そのお父さん、お母さんにとっては、赤ちゃんが元気に泣いているうるさい状況は理想の姿なのかもしれない。大袈裟に言うと彼ら彼女らの夢見るところなのである。

綺麗ごとかもしれない。でも、この状況を夢見ている人たちが少なくないのは事実だと思う。
少なくとも過去のNICUの中で、赤ちゃんの横でたたずんでいた自分が望んでいた場所にたてている。

そんなことを思いながら、いつもより少し温かい気持ちをもって泣いている赤ちゃんを抱っこしようと思う。
ラグビー始まるから静かにしなさいと。
ラグビー日本代表の夢はオールブラックスを撃破することなんだよと。

妻含め、ぽかんとするみんなの顔を見れてることが、普通に幸せなことなのかなと、、、

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA