僕のジョバンニ

普段漫画は読まないが、唯一、穂積という漫画家の漫画だけは毎回買って読んでいる。

式の前日という短編集がデビュー作
その後、さよならソルシエ、うせもの宿と続き、現在は僕のジョバンニという作品を連載している。

どの作品にも家族愛というものが、滲み出てくる。

僕のジョバンニは、主人公がチェリストを目指すというストーリーがつづいていくのであるが、
今回4巻の中で、第22話兄弟というものがある。

昔からずっと一緒にチェロを弾いてきた、主人公と主人公の兄、主人公の兄は19歳になり、自分の才能の限界に気づき始める。それは、主人公のチェロの才能を目の当たりにすればするほど、、、
弟のチェロを聞くのも辛くなっていた。

兄はチェロから距離をおきはじめ、帰りも遅くなった。

主人公は、兄の気持ちなど知るはずもなく、純粋無垢にいつものように、お兄ちゃんとチェロを弾きたいと待ち続けていた。

そんな弟を避けるように、やんわりかわしていた。

ある日、いつものように、主人公にお兄ちゃんはチェロを弾こうと迫った。いつもより、強く手を引っ張りながら、弾きたいと。その手を兄は強引に払うと、主人公は後ろにふっ飛び、壁に頭を打ちつけ呆然と何も言わずに兄を見つめていた。
兄はすぐに抱きしめて、兄の胸で主人公は泣いていた。

それから、主人公は兄にチェロを弾こうと言わなくなるのである。

今では、弟にとって優しい兄であるのだが、このことを、非常に後悔しているといった内容である。

読んでいて、はっとした。

子どもは、親に対して、純粋に遊ぼうと繰り返してくる。家にいても、外にいても。仕事から帰ってきたばかりでも、ご飯前でも、寝る前でも。
いつなんどきでも、自分の思いのままに、遊ぼう、おうちごっこしようと伝えてくる。

そんなときに、冷たくあしらっていないだろうか。
ご飯前や寝る前などは、いつまでも遊んでいられないので、しつけとして説明しなければいけない。
ただ、スマホやテレビを見ていたり、仕事から帰ってきて疲れている、眠いなんていうときに、反応していなかったり、おもちゃを持ってきて、あれをしたい、これをしたいと一生懸命にアピールしてくる、そんな子どもにこたえられていないことが多いなと感じた。

いつまで、遊ぼうと言ってきてくれるか分からない。いつかは、こちらが遊んでほしいと思うほどに、離れていってしまうのだろう。

あとで、後悔しても遅い。

少しくらい疲れていたって、自分のやりたいことなど我慢してでも、接する時間を増やしていかないといけない。

繰り返しになるが、遊んでほしくても遊んでもらえなくなる時がくるのである。

遊んでと言ってもらえる時が最高の幸せなのである。