奥さんが鹿児島のおばあさんの家にお母さんと帰省していたため5日程フリーな時間ができた。
この子達はひいおばあさんと初対面となる。
子どもが3人になってから、自分の時間が皆無となっていた。仕事に出ている方が移動などでむしろひとりの時間などもあって楽に感じたりする日もある。
土曜日、日曜日も夫婦ふたりあれば休息、趣味、勉強など自由にあてられた。
長女が生まれてから大分制限されるようになったが、ゴルフ、会社のイベント、そう頻繁ではないが見たいスポーツ観戦などあれば、行っていた。
長女だけであれば、奥さんが実家に連れていくことで、奥さんも実家で休めて、子どももおばあちゃんやおじいちゃん、おじさん、おばさんと遊べる。
おじいちゃん、おばあちゃんも大歓迎といったところ。
それは、奥さんが出かけるケースで私が実家に連れていくということでも同じである。
ただ、子ども3人になると一気にこの構図は崩れる。
まず手が足りない。
ひとりで3人を連れ出すのは不可能に近い。
3人を家の中で、みておくことでさえ厳しい。
育児環境を表すなら、、、
・飛行場のど真ん中
昼夜問わず、赤ちゃんは大泣きする。
その瞬間何も聞こえなくなる。見ていたテレビ、聞いていた音楽、静かに読書、勉強。
そんな状況に遠慮なく赤ちゃんの泣き声は入り込んでくる。
・オール明け
大学時代よくオール(徹夜)というものをしていた。
朝まで飲み明かしたり、友達の家でひたすら話したり、温泉やスノボーで語り明かしたり、カラオケオールしたりといった感じである。
当然ツケは翌日に巡ってくる。
次の日は基本使い物にならない。
眠さとダルさで体が動かない。
大学時代であれば、時間が無限にあるように感じたし、自らの予定を考慮した上で楽しみと引き換えにこの1日ロスを選択できた。
育児は違う。
毎日3時間おきのミルクの時間がやって来る。
23時、2時、5時、どこかのタイミングですんなり寝ずに、ごね始めたらオール状態になる。
次の日は仕事である。
絶望的な状況となる。
双子となると確率は2倍。長女も含めて起きたりすれば泣きの大合唱となる。
・パワハラだらけの理不尽職場
子どもはいつでもどこでもかまってちゃんである。
お父さん、お母さんの予定はお構い無しで、遊んで、本読んでコールをしてくる。
朝起きたら外へいこう。2歳児ともなれば、人の話に必ず首を突っ込んできて夫婦の会話に至らない。
暇を見つければ次から次へと指示を出してくる。
自分のペース?そんなものは忘れます。
時間を見つけて、数ページ本をめくり、数問問題を解く、ちょっとした時間でニュースを読み、株価をチェックする。テレビは諦め、ラグビーのどうしても見たい試合だけは入念な準備、周到な根回しをした上でテレビ観戦に臨む。
それでも撃沈なんてことも日常茶飯事である。
上記は、ほんの一部でもっと汚い言葉で表せるようなこともあるし、母親目線で見ると更に過酷であると思う。
育児でノイローゼや鬱といったこともよくニュースになっている。育児は生半可な気持ちでは出来ない。
もし、夫婦仲に亀裂が入っている状態であればもっと苦しい状況が想定される。
正直、子育てはきつい、苦しいことは多い。
まずは、夫婦で協力体制を築き、よく話し合うことが必要条件。周りも巻き込みながら引き算の発想で進めたい。
過酷とはいえ、子どもが小さいうちは想像もつかないイレギュラーなことを次から次へとやらなければいけないわけではない。もちろん、そうではなく、子どもと向き合いながらその都度その都度反応することもある。
基本的には、育児でやることだいたい見えているので、規則的、効率的に出来る点もある。ただ、それ以外の毎日の生活で行うことを関係者で役割分担しながら、行っていく。そんな中で、夫婦のそれぞれのスタミナやバイタリティーなんかにも注意しながら、チームパシュートではないがお互い交互に引っ張り、休み、引っ張り、休む。この人数は多い方が良いので、両親やママ友、パパ友、保育園や地域のコミュニティー、商業施設の預かって貰える場所を使う。
倒れるくらいならお金も惜しまずにドラスティックに体調を優先させる。そんなことも大事かもしれない。
今回はきついということばかり書いてきてしまったが、それ以上に、子どもと接していくなかで笑顔や喜びをたくさん感じる。そして、間違いなく人を育てることは、自らをも成長させる。
頭を使い、子どもの予想だにしない動きを見ることで、大人になって凝り固まってしまった自分をぶち壊してくれつつある。
何事にも無心にチャレンジする子どもたち、突拍子もない行動や発言の中から刺激を受けて、自分自身の発想も幾ばくか柔軟になった。
育児という環境に身を置き、みんなでもがき、一喜一憂しながら、少しずつ前進していく。この一歩一歩が5年、10年たって振り返った時に大きな成長に繋がっていることを信じたい。
結局家に一人でいたこの五日間ほぼ何もやらなかった。忙しい忙しいと毎日呟いていても不思議と暇だと暇で何もやらない。
ある程度忙しい中のちょっとした時間。
この時間こそが私にとっては貴重で、大事なはかどる時間と再認識させられた。