お父さんになっな日

子どもは3人くらいほしいな。
んな思いだった。

長い付き合いだったので、結婚しても大きく生活は変わらなかった。

結婚式をあげてしばらくして、長女の妊娠発覚。妻からLINEで妊娠したと報告を受けた。

出かけていたので、「了解」と返信
自分では素っ気ない返事をしたつもりはなかったが、帰ってきてから「了解」はないんじゃないと言われた。たしかに「了解」ってなんだ(笑)

あまり実感もなくなんとなく冷静だったことを覚えている。跳びはねるくらい嬉しいことなのだと思うが、実際は、そんな感じだった。みんなどういう気持ちになるものなのか聞いたことはないので分からないが、どんな反応をするのだろうか。

しばらくして、女の子と分かる。妻は一姫二太郎を望んでいたので、希望通りなんて胸を踊らせた。

自身は、1人は男の子がいてほしいなと思いながらも、女の子は育てやすいと聞いていたし、3人育てる気でいたので、1番上が女の子で頼もしいなと思った。

ただ、それからは壮絶な日々がはじまった。

妻のつわりが思いのほか酷かったのだ。毎日苦しんでいた。急な出血で病院に車をとばしたり、切迫流産で入院のお見舞い。1週間くらいの入院で無理矢理退院してきた時は、ほんとに無事生まれてくるのかと心配になった。

いろいろ心配事は絶えなかったが、予定日が近づくにつれて落ち着いてきた。
出産立ち会いについては、しないつもりだった。妻ももともと期待していなかったようでどっちでもよいとの反応をした。

ただ、当事たまたま一緒に仕事をした、会社の先輩から一生に一度しかないかもしれないから絶対に立ち合った方がよいと言われて立ち会うことにした。

予定日の1週間前の検診で、妊娠高血圧症で入院が決まった。

それから3日ほどして今日夕方くらいに生むことになりそうと出社した直後にLINEが来た。

会社を少し早めにあげてもらい、病院に昼過ぎに駆けつけた。

妻は分娩室兼病室で横になっていてまだ元気だった。

ただ、この状況で何をしていいか分からない。父は無力で頼りない。仕事のパソコンを開き、メールチェック。2度程看護師さんがバイタルチェックに来る。2度目のバイタルチェックの最中、まずい寄り添わないとと気づいた。あの看護師さんが出ていったら次からは横にいようと思った瞬間、旦那さん横にいてあげてくださいとテニスボールを渡され注意される。まぁそうなりますな。

テニスボールを片手にほんとに使うんだなとおしりの上のあたりを押す。

そこじゃないとか激怒されながら、テニスボール片手におしてはたたずむを繰り返す。約10時間たち、日付が変わる頃に産みましょうとなった。

そこからは早く、20分くらいで生まれてきただろうか。羊水を看護師さんが抜いて、赤ちゃんが泣いたときは嬉しかったし、何よりほっとした。無事に生まれてきてくれたこと、頑張った母に感謝の気持ちであった。

結果としては、ほんとに立ち会って良かった。双子は帝王切開で立ち会えなかったので、これが最初で最後の立ち会いとなった。(おそらく、、、)

先輩には感謝していて、周りの人には、出来ることなら立ち合ってあげるのがよいと話すようにしている。

こうしてお父さんになったのである。